私達家族が沖縄に移住をしてきたのは、今から11年ほど前のことになります。
- 沖縄に移住を決めたのはなぜ
- 準備段階
- いざ沖縄へ
- 沖縄に来た
なぜ沖縄だったのか
私もなぜ家族で沖縄に移住したのは、これが決め手というのがあまりなく、その前より内地にいた頃からキャンピングカーに乗って日本全国を旅して歩き、どこか終の棲家がないかと探し歩いていました。住みたかったのは北海道や長野、山梨等候補はあったが・・・でもまさか沖縄とは夢にも思っていなかった
思い当たることといえば、下の子供が小学校のときの運動会でエイサーをしたこと、その時、生の三線を聴きに全身鳥肌がたち、突然沖縄の風景が頭一杯に広がったこと。でもそれまで沖縄に行ったことはないし、そこに住むとまではその時は思ってもいなかった。(NHKのちゅらさんが好きでづっと見てたので、沖縄の風景はなんとなくイメージできるのです)
その時は、三線が弾けるようになりたいと、その運動会で三線を弾いてくれた先生に連絡をとってもらい、押しかけ弟子にしてもらい、三線に没頭していくうちに、だんだん本場の三線に触れてみたい気持ちが強くなり、沖縄に行ってみたくなり、初めての沖縄旅行へ・・・・
沖縄への準備段階
その後何度か沖縄旅行をし、だんだんと沖縄に住みたくなり始め、本格的移住を考え始めた頃に考えなければならない問題が、独り身になら行ってしまえばどうにかなるさ的でも良いかもしれないが、家族4人での移住となるなると移住前にある程度きっちりと決めておかねば、行ってから露頭に迷わせるわけにも行かないので
- どこに住むのか
- 仕事はどうするのか
- 子どもたちの学校は
まず考えなければ行けないのはこの3点くらいか?
どこに住む?
しかし、仕事と住むところは思いの他すんなりと決定。
最近ではハローワークで全国の求人が見られ、募集ができるのでとりあえず沖縄の求人検索。私一応有資格者(鍼灸師、介護支援専門員)なので、その方面から仕事を探す。鍼灸師の求人は流石に少なく、介護支援専門の仕事はそれなりの求人件数がピックアップされてきました。その中で候補として選んだ2箇所、一つは西表島の施設、もう一つは今住んでいるところの名護の病院にしぼり、西表島は行ったこともなく、なんとなくイリオモテヤマネコのいるところか・・・くらいしか思い浮かばず、でもなんとなくいいなーなど思いつつ、どこに位置するともよくわからないのに、ほのかなあこがれを持ち西表か〜などと思いにふけっていました、もう一つは名護の病院、名護か〜どこらへんなんだろ?本当にあの頃は沖縄について何も知りませんでした、でも行って見たかったのです。
知り合いに聞いても名護がどこになって、どんなところか全く知らないとのこと、しかし、沖縄の本島のどこかにあることは間違いがないこと。色々と思いを馳せながら、とりあえずハローワークを通し2箇所へ申し込み。
西表島の施設から
申込後、西表から連絡がありました、詳しい話を電話で聞いていると、高校が島に無い事、高速船で3〜40分で石垣島に行けるが、冬は風の影響で船が欠航することが多いこと、なので島の子はたちは石垣島で寮生活か、ひとり暮らしをしているなどと教えてもらいました。・・・・・うーむどうしたものか?その話を家族に伝えると、「やめよー、そんなところ、飛行機で石垣まで行き、またそこから船なんて、そんな遠いところ行ったら誰も友達来てくれなくなるよ」「そうだなー、那覇まで羽田から3時間くらい、石垣まで1時間、そこから船で40分かぁー遠いな」それからしばらくたったある日、そこの施設から連絡があり、西表の施設が利用者が少ないため、閉めることにしました、石垣島の方の施設の求人が出ているかもしれなのでまた連絡します。と言ったきりそこからの連絡はありませんでした。ちょっとホッとしました。
残るは名護の病院、しかしこれがまた待てど暮せど一向に連絡が無い、しびれを切らしこちらから連絡を入れると、「うーむ、いつ来れるの?」「こちらは連絡するというから待っていたんですけど」「あっそー、ごめん、ごめん、で、いつ来れるの?一回面接しよう」「はっ〜」大丈夫か?で話は進み面接のために、再度沖縄へ初めて見る名護の街、「ここ、美ら海行く時通ったところだ!」などなんとなく見覚えのある町、ここが名護の街か、わりと栄えてるところだとも思いながら待ち合わせの場所へ。
面接
待ち合わせのA&Wへ・・・その前に待ち合わせの約束を電話でしている時、私、「顔を見たこと無いので行ってもわかりませんが見つけられますか?」「大丈夫、私がわかるから」?
A&Wへ待ち合わせ時間に行くと、なんとそこで家族を交えての面接の開始 えっ!ここで面接?面接の担当の方は当たり前のように話し始めました。「でーいつから働けるの?、上のお姉ちゃんは何年生、そう高校生になるの、じゃ、あそこの高校がいいな、卒業したらあそこの看護学校に行きなさい、看護師はいいよー、そうしらうちで働きなさい、」一般的にいう面接らしい面接はほとんど行われず、「じゃ行こうか」「どこへですか?」一瞬職場に行き、そこで改めて面接か?などと思っていたら、「こっち来たら住むとこ無いでしょ、今から見に行くから」と不動産屋に連絡を入れ一緒に回ることに、「まだ決まってもいないんですけど?」「大丈夫、僕がokて言えばそれで大丈夫だから」「・・・・?」何箇所かのアパートへ案内され、ついでに、お兄ちゃんはここの小学校、お姉ちゃんはここの高校がいいなと案内され、挨拶をし(まだ決まっていないのに?)翌日は就職予定の病院の院長と、先日合った怪しい方と、3人で面接、(この時はきちんとした面接でした)半ば半分強制的に就職が決まったような形で話は終わり、「じゃ、いつから来れるか連絡して。」で仕事と住むところが決まったのでした。これが沖縄のテーゲーさか?
生活・仕事
今、そしてこれから沖縄に移住を検討している方へ、仕事や生活の話
今求人がが多いのはやはりサービス業・観光業でしょうか?サービス業界では人で不足が続き、人手不足により店を閉めるところもあるくらいです。職種や雇用形態を選ばなければ仕事はそれなりにあると思います。
しかし、収入自体はかなり減ります覚悟してきたください、内地の給料の2/3から半分くらいの給料くらいしかもらえないのは覚悟しておいたほうが良いと思います。内地で雇われ沖縄に転勤いた場合は別ですが、こちらの会社に就職するとなるとかなり給料は安いです。たしか、賃金は全国で下から2から3番目くらいだと思いました。Wワークをしている人も結構います。自分で事業を起こす方も大勢います、けれどけして裕福な県では無いです。でもみんな明るいです。それを卑下していることも見られません。
アパートの家賃や土地は、安いです(だからうちも家を建てられました)。我が家が最初に借りたアパートは、新築で3DK駐車場付き(車は2台止められる)で8万円だったと思います。しかし、その頃の相場より高いそうでした。
名護は県内でも家賃相場は高いらしく、別の市町村ではもう1割くらい安いみたいです、中心地の那覇でも築年数が古いところではかなり安く借りれるみたいです。しかし物価は安くありません、特に内地からのものは輸送費がかかるのか、ちょっと高め。最近ではスパーも増え内地の食材も手に入るようになりました。しかし、ネット通販は注意です。沖縄は離島に含まれ送料がバカ高いことがあり、注意しないと商品より送料のほうが高いなんてことも。
那覇市内以外に住むには車は必需品です。車が無いと引きこもり生活を余儀なくされます。こちらでは一人1台が基本です。動けばいいんです。とりあえず。自転車は沖縄では結構坂が多く雨も突然降り出したりするので、ストイックな生活を好む人以外はあまりいません。日常自転車を利用しているのは、中学生、高校生くらいでしょうか?仕事にもいけません。
住もうとする地区によってもかなり環境は違って来ると思います。
こどもの学校
移住を考えだしたのは上の子供が中学3年の時、ちょうど受験の時期です、しかし今移らないと子供が高校に入ってしまっら3年間は移住できなくなる「うーむ」、そこで子供に移住の話をしてみたら、「行きたいんでしょ、どうせ嫌だって言ったて」と受け入れてくれました?中学3年生の2学期に転校させるなんてなんてひどい親でしょう。未だに子どもたちには悪いことしたかなーと思っています。ともかく娘の高校進学の準備をしなければなりません、3年の2学期に転校してきたため、こちらでの基準となる成績なく受験にはやや不利な状況で、入試試験の点数だけが頼り、あまり出来は親ににていい方ではなく、成績は中のやや下くらいだったのが、こちらの中学に来たらできる子になっていました?しかし入試が問題なので、塾にでも行かせようと思ったところ、塾が無い、予備校までとは言わないまでも、学習塾くらいはと思っていたが無い。やっと一か所学習塾を見つけそこに入校あとは無事合格を願うのみでした
下の男の子は、小学生だったので近くの小学校へ、本人以前から野球をやりたかったらしいが、親がいつも週末にはキャンピングカーで色々と連れ回すため、野球を諦めていたとのこと(なんてけなげな)でもこちらに来たら、「野球チームはいっていい?」それからは、中学、高校と野球三昧の生活を送っていました。息子が小学校に入ってすぐに友達から言われたこと「おまえなまってるな〜?」ちなみにうちの子は鎌倉生まれです。
教育
こちらでは基本、中学までは地元の中学に行き、近くの高校を受験するというパターンが一般的です。なので高校の選択肢は内地と違い、あそこの学校へ行きたい、あっちがいいと多くの選択肢はあまりありません、私立の学校も少ないです、基本通える範囲での選択になります。まれに、遠くの学校を希望し、寮生活を送るか、ひとり暮らしをする子もいますが、大体は自宅から通える高校になります。しかし最近はスポーツで強い内地の学校へ行く子供たちも増えています。高校野球でも沖縄出身の球児を内地の学校で見ます。感じとしては教育はあまり熱心ではないかな〜?って感じですが、最近は少しずつ教育熱心な親が出てきているみたいです。
いざ沖縄へ
仕事と、住むところも決まったので移住の段取りです。どうやって引っ越すのか?
とりあえず、業者何件かに見積を取ってもらいます、4人家族なのでものもそれなりあります。
いくつかの業者に見積もりをしてもらい選んだのが、コンテナ1台分に入りきるだけの荷物を入れていくらというものでした。コンテナはよくトレーラーなどに積まれている、正方形のような箱です。業者さんいわく、之でしたら少し整理すればだいたい入るんじゃないですか?でした、で金額はというと車も込で80万ゲーと思いましたが、見積もりの中では安い方でした。それからはいらないものの処分、何度ゴミ集積場に足を運んだことか、向こうの人と顔見知りにまでなり、ゴミをもっていくと「これ捨てるの?もったいないからもらっていい?」などの会話もする用になりました。
頼んだ引っ越し業者は自社船を持っているらしく、予定が立てやすいらしく荷物は確か3〜4日で那覇に到着したと思いました、そこからは沖縄の引っ越し業者がアパートまで運んでくれる段取りに、車は那覇のホテルまではとでけてくれることになりました。
全部運び出した家には住むこともできないので、暫くは実家でお世話になり疲れを癒やし、いざ沖縄へ・・・しかし、別れの段階になるとやっぱり寂しいもので、いくら同じ日本とはいえ遠くへ行ってしまうんだなぁーとしみじみと思いました、今思えば親不孝者だったかもしれない。
沖縄に来た!
なんだかんだバタバタと引っ越しをし、とりあえず沖縄に移り住みました。あれから10年近くの歳月が流れていきました、今ははどうにか家を持ち、お世話になった病院を退職し、鍼灸院を開業しこの地に根を張りつつありますが、10年色々ありました。一度に書くとあまりにも長くなってしまうので、これからも沖縄に移住してきて感じたことなど書き進めていきます